M-1 2022に折り合いをつけた話

M-1グランプリ2022が自分の中でようやく終わりました。

勝戦はとっくの前に放送されたけど、
結果を受け止められず自分の中で悶々とする日々が続いておりました。

このモヤを紐解き……落とし所を見つけられたので、
「折り合い」と称して言語化していきます。
「受け入れられないコト・モノがあった時に、
それでもなお自分の中に受け入れるための思考の着地点」
を折り合いと呼んでいます。

 

折り合い要約

 不満:優勝者選定と観客の反応に納得がいっていない
 折合:Youtubeは優勝者ではない組のネタが再生数トップになっている

 

不満点

不満:優勝者選定と観客の反応に納得がいっていない

ファンの方には「ゴメン」と思いつつ、
優勝者のネタでは笑えなかったので「優勝ちゃうやろ!」という気持ち。
お笑いのスタイル自体をどうこう考える前に、
ネタ自体を面白いと感じることができませんでした。
薄すぎて毒にもならないような悪口と、
2chコピペ集のような切り貼りされた構成と…。
要は”僕には合わなかった”だけの話なので、これはただのグチです。
自分に合わない人が選ばれること自体は何も問題はありませんのでね、
本当にただの感想。
※悪口ネタを聴いて「まあそうだよね」と違和感なく流している僕の方に問題があるだろ!と今気付きました

事実ベースでの不満を挙げると、
①審査員の優勝者投票の基準
Twitter上での反応の仕方
のあたりが自分の中で府に落ちませんでした。

①審査員の優勝者投票の基準
勝戦ファイナルラウンドは審査員それぞれが1組を選んで多数決する方式。
それまでの点数付け方式とは違って「この組が優勝!」と言い切るわけです。
まあ大会なので審査員がいて決定すること自体は当然で、
審査基準にバラつきがあったり審査員個人の感覚が用いられるのも当たり前です。
厳密な採点方式とかが定められているようではなさそうなので、
審査員が持っている暗黙知を用いて選定されることは既に折り合い済ですよ。
ただ、「採点に用いられた審査員の感覚」と、
「観客としての僕の感覚」との間に乖離がある時に不満が生じるのかな〜と。
実際に審査員が何を考えて選定しているかは明らかではありませんが、
「どうせこういう感覚で選ばれたんだろうな」
というギャップを伴った判断が見えた時に観客は冷めるのでしょう。
今回の審査員の発言を振り返ると、
「お笑いは本来は毒を含むものですから」という言葉がありました。
それが選定理由かはさておき、観客の思考としては
「どうせ審査員たちはポリコレを無視した昔のお笑いが好きなんだろうな」
という流れになるのもさもありなん。
まとめると、
「お笑いは本来は毒を含むものですから」という審査員の発言から、
(優勝者のネタを面白いと思った人は)「確かにそう!納得の優勝!おめでとう!」
(優勝者のネタを面白いと思わなかった人は)「そんな理由で選ばれたのか?」
という思考の分岐が起きているのかなと。
そして上記の通り僕は後者の感じ方だったので、そこで不満が生じたのでしょうね。
採点基準が感覚に依拠したものだと思われていると、
感覚的に合う・合わないかどうかで不満に繋がる構造があるのかなと考えました。

客観的な数字であれば自分の感覚と異なる評価があっても納得しやすいんですけどね…
というか採点基準(項目)が不明瞭、減点式か加点式かも審査員まかせ、
1組目からの相対評価で点数をつける…
という謎の大会なので、制度に関して疑問を持つのはやめています。

Twitter上での反応の仕方

M-1を見て批評してる観客!お前だよ!」
っていう毒の吐き方はよろしくないですね。
優勝者がネタの中で発していたセリフですが、
これのおかげでM-1優勝者に関して何かツイートすると、
「批評しちゃってるじゃんw」とリプで嘲笑するノリが生まれてしまったんですよ。
毒を吐くスタイルにも関わらず、
自分に対して放たれる矢には予防線を貼るセリフを用いるのはお門違いかなぁと。
それに便乗して批評コメントを嘲笑する観客が発生しているのも、
まるっと含めて言論弾圧とほぼ同じ構造になっていてヤバイです。
多分この投稿自体も「批評しちゃってるじゃん」の的なんですが、
思考の長さで勝てるので投稿しておきます。レスバしよう!

以上、事実ベースでの不満点でした。

 

折合 

折合:優勝者ではない組のネタが再生数トップになっている

M-1グランプリは予選から本戦まで全てYoutubeで公式から投稿されます。
ネトフリでも過去大会は観れるのですが、
Youtube版だとネタ中に審査員の表情に画面が変わったりしないので、
観るのであれば公式掲載中にYoutubeで観るのがオススメです。
ネトフリだとテレビ放送と同じくネタ中に審査員や上戸彩がカットインするので…

勝戦Youtubeに掲載されるのはテレビ放送が終わってからなので、
優勝者が誰かは分かった上で再生できます。
1ネタ1動画でアップされており、観たいネタだけ観れます。

そんなわけでYoutubeの再生数を確認していたのですが、
やっぱり優勝者の再生数がダントツで多い。
優勝したらしいし観てみよ!という人の多さがよく分かりました。

が、放送後1ヶ月くらい経ってから改めて確認すると、
優勝者ではない組のネタの再生数が飛び抜けていました。
勝戦ファイナルラウンド進出の3組のうちの1組であるものの、
勝戦1stラウンドの方のネタが優勝者よりも200万回以上多い数字となっています。
ネタ以外の要素でバズっているわけでないので、
「このネタをもう一度観たい」と思った人が多いのかなという(希望的予想)。
リズムネタがMAD化してバズを起こした組もいますがその数字とも異なります。

リピーターがこの数字に現れているとすると、
「審査員の感覚」「嘲笑するようなノリ」で選ばれたネタは、
「何度でもこのネタを観たいと思わせる内容」ではなかったと感じています。
大会が終わった後も何度も再生されるネタが、
本当の意味で愛されている、最も評価されるべき漫才だと思います。

まぁ大会なので、
勝戦1stラウンドでどれだけウケようが優勝には関係ないですが…
全ネタを振り返ってみた時、
ちゃんと数字に観客の評価が出ているというところで僕は折り合いをつけました。

ASMRをみてたのしむ

ASMRに今更ハマりました。耳が気持ちよくなるやつ〜とは何となく知っていたのですが、なかなかフィットする音声がなかったので遠巻きに見ていたカッパです。こんばんは。

 

あらためてASMRとはなんぞや?と思ったので、ググルーン・ウィキペッディーア!

ASMR(英: Autonomous Sensory Meridian Response)は、人が聴覚や視覚への刺激によって感じる、心地良い、脳がゾワゾワするといった反応・感覚[1]。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ASMRより引用

 

らしいです、ほへ〜。脳がゾワゾワするって言葉は良いですね。感覚を言語化し切れていない感じがして、まだまだ余白がありそうな言葉です。

 

ASMR動画はご飯を食べる時の音を収録したものが多い印象ですが、あれは脳がゾワゾワするというよりも腹がグウグウする方が強いからアブナイです。ハラヘル。しかしあらためて検索してみると、美味しいご飯の音を求める肉欲と、可愛い人が食べる様子を求める肉欲が溢れている酒池肉林コンテンツになっている様子が確認できました。終焉期に向かっているのか?

 

そんな浮世の欲とは無縁の悟りASMR動画が「soap cutting」です。オススメ。石鹸をカッターで削る動画です。ちょっと指が心配になるから、刃物に恐怖心が強い人は見ない方が良いと思いやす。碁盤状に切り込みを入れた石鹸を横からカットするだけなんですが、ボロッボロと崩れていく様子とバラッバラと鳴る音が気持ち良いポイントのやつですね。

 

この「soap cutting」にはオススメの楽しみ方があります。それは音を聴かずに動画を見ること。音量をゼロにして再生することをオススメします。「ASMRなのに聴かずにどうすんねん」って思われるかもしれませんし、「逆張り乙!」って言われるかもしれませんね。うるせー!逆張りじゃないんだからね!

 

うるせー!って書くの、そろそろやめようと思います。もっとやさしい言葉を探そう……。見えない敵と戦うのはもうたくさんだ……。

 

話を戻しましょう。なぜこれがオススメかと言うと、聴覚で与えられる快感よりも視覚で与えられる快感の方がハチャメチャに強かったからです。カッパは基本的にYou Tubeを無音で見ているのですが、たまたま再生したsoap cuttingに脳がゾワゾワ、こりゃ音聴いたらすごいぞ!と思っていそいそとイヤホンで再生したところ、「う〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ん?」と疑問形のうなりが出てしまいました。ごめんな石鹸、切り刻まれた君たちは悪くないんだ。

 

これは多分、石鹸が切られる様子を無音で見たときに脳が補完した「あるはずのない音」の方が心地よかったからだと思います。こうして文にすると冷静になりますが、幻聴きこえてるんか?コワ〜。とは言っても、スゲ~音が聴こえた!というわけではなく、石鹸が切られている様子=何か柔らかいものがなめらかに崩れていくイメージだったので、なんとなくニュメルんッとした音を想像していたんだと思います。実際の音はかなり硬くてバラバラとしていたので、その差ですね。

 

無音で見ていると、「んお゛〜〜!?〜〜〜!?!?〜〜〜〜!?」という声にならない声が心を満たします。今まで知らなかった感覚…。ちなみにウィキペディアによると、

 

正式、および一般的な日本語訳は今のところ存在しないが、直訳すると自律感覚絶頂反応(じりつかんかくぜっちょうはんのう)となる。

https://ja.m.wikipedia.org/wiki/ASMRより引用

 

らしいです。自立感覚絶頂反応。さっきの叫び声がとても恥ずかしくなりましたね。「んお゛〜〜!?〜〜〜!?!?〜〜〜〜!?」

 

「震度○弱」と「(数字)弱」の弱さは違う

地震、怖かったですね。強い揺れを感じた時、頭は「何とかしなきゃ!」と考えるのに結局何をしていいか分からず、玄関の扉をちょっと開けて立ち尽くすことしか出来ませんでした。頭が対処法を求めて回っているのにどうしたらいいか分からない状態が1番怖いですね。いわゆるパニックだと思います。と、思いたち、地震の時するべき事をすごく調べるきっかけになりました。皆さんも準備しましょう。真面目な話でした。

 

テレビで震度のニュースを見ていて思ったのですが、「震度5弱」って「震度4.8くらい」ではなくて、「震度5.2くらい」なんですね。震度ではない話だと「50人弱」は「48人くらい」を意味するので、おや?と思ったカッパです。こんにちは。

 

「数字+強or弱」の表現にようやく慣れてきたところだったので、「震度+強or弱」との意味の違いに気付くことができました。ニンゲン、コトバ、ムズカシイ。人数の他の例だと身長とか体重で使うのでしょうか。「僕の身長は168です」って言うのと「僕の身長は170弱です」って言うのだと印象変わるもんなあ。うるせー!身長が何だ!気にすんな!

 

急にキレちゃダメです。カッパ、ハンセイ。急に身長の話が出てきてパニックになってしまいました。身長はさておき、同じ強弱表現のはずなのに意味の違いがあるのは面白いですね。しかし、「数字+強or弱」を「震度+強or弱」の意味と混合してしまう間違いがよくあると思われます。「身長170弱」を「身長172くらい」と解釈してしまう間違いですね。ありがちな日本語の間違いとしてどこかで見た覚えがあるのですが、あるあるじゃなかったらゴメンの1言ですねえ。

 

この間違い、恐らくは気付くタイミングがほとんどなく、また「震度+強or弱」の表現の方が頻出であることらが原因かと思われます。

 

「身長170弱」を「身長168くらい」と認識しようと「身長172くらい」と認識しようと、会話の流れにおいてその誤りが露呈することは少ないと思います。その数センチの差にはプライドやらコンプレックスやらモテたい願望やらがあるかもしれませんが、会話は流れてゆくだけ、川の流れの前にカッパは無力。会議で用いている数値のような正確さが求められる場面では明らかになるかもしれませんが、そのような場面に全日本話話者が遭遇するかといえば疑問です。あるいはそういった場面に出くわすまでは誤認に気付くことがありません。何でもそうだけどね。

 

そして誤認に気付くきっかけよりも、「震度+強or弱」の表現を見ることの方が多いのも厄介だなあと思います。こっちは「震度5弱」は「震度5.2くらい」で合っており、また強弱表現でイメージしやすい認識と合致しているからです。気付きましたか?ここまでずっと主観。そして、これからも。これコピペしてレポートとかにしたらソースがシャバシャバですごいことになると思います。ダメ、ゼッタイ。

 

そんなこんなで、震度の強弱表現が浸透していると数字の強弱表現の誤認が強化されるよね〜っていう妄想でした。資料探していないから、こんなもんはドリームや!良い夢見ようね。

折り込みパイ生地に憧れて

実はお菓子作りが趣味のカッパです。こんにちは。

最近はひょんなことからリンゴが大量に手に入ったので、アップルパイづくりに燃えています。カッパとパイ生地との戦いの歴史は深い。カッパーズアップルパイヒストリー、今およそ第3幕くらいです。

第3幕もあったかは分かりませんが、とりあえず振り返ってみましょう。そして次のアップルパイに活かすのだ。「振り返りたまへ」と、神の声が聞こえました。幻聴じゃないです。リンゴは何かが見えるようになるオクスリの隠語じゃないから安心してください。

 

第1幕「バターダダ漏れ事変」

そこに一匹のカッパありけり。カッパはアップルパイを作らんとすなむ。焼成したところバターがダダ漏れになり悲しむカッパの姿、いとあし。

古文がわかる方の頭を頭痛で痛めるような文章が生まれてしまった…。カッパは(ほぼ)古文未履修なのでその辺りは許してニュアンスで読んで欲しい。いまだに古文と古典の違いもよくわかっていない。カッパなのに。カッパなのに?

これはもうすでにタイトルで落ちてるんですが、要は生地の作りが悪かったために焼いた段階でバターが漏れちゃったということですね。何回か挑戦したのですがダメでした。型の底に溶けたバターが溜まってしまったり、バターが溶け出してしまって層にならなかったり……。なかなか難しいのです。

お菓子作りはPDCAを回すところが楽しみの1つでもあるのですが、アップルパイのようなカロリー的にも予算的にも重いモノはなかなか回転しづらいのも難点。失敗すると尚更食べてもらえないしね〜。なのでお菓子作りの中でもアップルパイは「作る機運」が高まった頃合いを幾年の流れを読んで掴まないといけません。第1幕は高校〜浪人〜大学くらいの間のことですね。いや長いな。

失敗の原因はおそらく「生地の折り込み」がうまくいかなかったから。パイ生地を作る時の流れをザックリ言うと(パイ風に言うならサックリ言うと)、

バターの塊を小麦粉の生地で包みこむ→薄く伸ばす→生地を三つ折りにする→薄く伸ばす→生地を三つ折りにする→薄く伸ばす→生地を三つ折りにする

という感じ。バターが小麦粉に包まれたままうす〜く伸ばされては折られては伸ばされと繰り返すことでバターと小麦粉の層ができるというわけです。コレを創った人は何から着想を得たのかも後世に残して欲しかった。もしかしたらあるのかも、調べよっと。ウヒョー。

で、この折り込みの何が難しいって「温度管理」なんですよ。生地をいじっている間は手の温度が伝わってしまうので、バターがゆるくなったために折り込み生地が破れたりするんですね。きっと。なのでできるだけ室温を下げたり生地とバターを冷やしておいたりする配慮が必要なわけですが、ま〜カッパの手は熱いんだわ。折り込んでいる内にみるみる生地が温まってしまう。それでも折り込みの途中で冷やしたりすればいいんですが……いやそうすればいいんだよな……なんでそうしないんだろう……言い訳しか思い浮かびません。神よ、許したまへ。

そんなこんなで折り込みパイ生地は難しい。難しいんだ。難しいということにさせてくれ。頼む。わかった?よし、良い子だ。

という事でアップルパイへの気持ちは打ちひしがれたわけですが、失敗した経験をそのままにしては神に怒られてしまいます。神だけでなく、レモンを入れすぎてしまって食べられないくらいに酸っぱくなったアップルパイを1人で処理したあの日のカッパにも申し訳が立ちません。人体って多分甘味とか辛味は上限がないと思うんですが、酸味はマジで臨界点があると思います。頭を雑巾絞りされるくらいにギュッと感じる酸味なんて、もう2度と生み出してはいけない。

とはいえ折り込みの難しさは身に染みているので、なんとかならんかと先行研究を読みあさっていたところ、カッパ・ゲット・ジ・光明。ハッピー。パイ生地の作り方は2種類あり、それまでやっていた折り込みの他にアメリカンパイという作り方があることを発見したのです。コレは折り込みを行わないパイ生地の作り方で、バターを切り崩して層を作るスタイル。今までパイ生地は折り込みでしか作れないと思っていたから、この時の衝撃は凄かった。しかし「切り崩してパイ生地にする」という仕組みが当時のカッパには全く理解できなかったのを覚えているので、恐らく今この説明だけで理解できている方は少ないと思います。もう少しだけ詳しく書くぞい。

粉の状態の小麦粉と冷えているバターを混ぜる→バターを切って潰す→バターを切り潰す→バターを細かくする→バターを切る→バターを…

切られて小さくなったバターを小麦粉が包んでいく感じで、最初は大きい一塊だったバターをとにかく小さくし続けていく作業です。やがてバターと小麦粉が人まとまりになるので、それが頃合い。フードプロセッサーがあるとすごく楽に終わるけど、なかったらドレッジ(ヘラみたいな道具)を使ってもできます。生地はこれでほぼ終わりで、薄く伸ばして型に合わせたら焼くだけ!

すごい!なんでこれで層になるの?イメージで説明すると、折り込み生地はパイの実で、アメリカンパイはスコーンです。伝わった?これ多分違う気がするな…スコーンあんまり食べたことないから見た目の印象で言ってるけど…。折り込み生地はパイの実みたいに層が何個も重なっているのが想像できると思うんですが、アメリカンパイはバターを切り崩して作るからそれと同じような仕組みではないのです。小さな小さなバターの塊が小麦粉の生地の中に何個も分散しているような状態で、それらが薄く伸ばされる事で1つ1つのバターの塊が薄〜く重なり層を形成するのです。説明ムズ〜。スコーンは忘れてください。布で言えば、水玉模様の布を引っ張ったら生地が伸びて水玉が薄く伸びるイメージですね。

この方法を試してからはバターが漏れることはなくなりました。もちろん製法が違うのでアメリカンパイ独特の感じにはなるのですが、パイはパイです。おいしけりゃオッケー!

かなり文字が多くなってしまった。う〜ん難しい。ちなみに第2幕はありませんでした。アメリカンパイ見つけたところから第2幕にすればよかったな。そういえばカッパは何かを説明するときにかなり言葉が多くなるタイプなのだということを再認識しました。う〜ん。誰に向けて説明してるんだろうか。ちょっと綺麗に終わりそうにないので、神に託そうと思います。

神「折り込み生地も作ろうね」

ホンマですか?

最近、放送禁止用語使いました?

なかなか使う機会がないよね〜。別に業界人ではないけど、放送禁止用語って日常生活でも聞かなくなっている気がする。え、使うことある?まああってもよいです。今回はその是非ではなく、放送禁止用語に対する感覚の違いに気付いたと言うお話です。最近Netflixで海外の番組を見ている時に感じたことを叫びます。

 

「ピー」って編集されるのに「Fワード」使いすぎ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!

 

感情が高まりすぎて引用文みたいになってしまった。出典は私です。Fワードっていうのは英語で伏字になりがちなあの単語です。日本語訳だと「クソッ!」になっているのをよく見ます。そう、その単語。この単語は米国の放送禁止コードに引っかかるらしく、放送されている番組だと「ピー」という効果音でかき消されています。英語表現的には「クソッ!」っていう意味の他にも、強調に使われたり別のよろしくない意味で使われたりするらしいですね。放送禁止になっている言葉なのに意味が多岐に進化してるの、ちょっと面白くないですか?今回はそう思ったので書き出しましたが、調べてもあまり答えには辿りつかなかったので備忘録として残しておきます。

 

今回の疑問点はコレ。「Fワードはピー音で編集されるのに、日常の中でも番組の中でも使われすぎ!どうして死語にならないの?」です。

 

とは言ったものの、英語ネイティブ話者の発話データを漁っているわけではなく、少ない情報の中で気付いた違和感なのです。反例あったら教えてね。

 

(情報源になった番組についてオタク語りしている段落)
その少ない情報源になっているのは最近ハマっている「Magic for Humans」。Netflixで見れる番組です。放題は「ジャスティン・ウィルソンの人生はマジック」。タイトルの通りマジックの番組で、マジシャンが街を歩く一般人にマジックを披露するというもの。コレが面白いんだ…。ジャスティンが街を歩いて出会った人に声をかけまくる「街ロケスタイル」なんだけど、ウィルソンがコメディアンなのもあって一般人との掛け合いとかマジックのチョイスとかがすごく笑える。何より一般人の方々のリアクションが絶妙で、つられて笑ってしまうことがかなりある。呆気にとられる人もいればちょっと叫ぶ人や大きく笑う人とかもいたりとリアクションも様々だし、感情が表情にモロに出ている様子も見ていて面白い(出ていないのもそれはそれで面白い)。マジックはテーブルとかステージでやっているのも面白いけど、マジシャンが観客と向き合ってやるマジックも面白いね。スタンダップコメディ感もあるし、いわばスタンダップマジックとも言えるかもしれない。カメラ越しにマジックを見せているがゆえのCGの疑念を裏手に取った回もあってとても笑えてね、そういう演出の仕方が魅力的でもあって・・・。
(ズレるのでやめますが面白さは伝わりましたか?とにかくオススメ!星5千個!)

 

で、マジック番組では驚いた人がFワードを言うことが結構多いのです。「信じられない!」「嘘でしょ!?」みたいなニュアンスで。すっごいカジュアルに使うんですよね、放送禁止用語。皆さんは放送禁止用語、最近いつ使いました?禁句と知らずして使うことはあれど、知った上で日常的に使うことってあんまりないと思うんですよ。コレはめっちゃ主観の感覚なので個人差あるとは思うのですが……まあブログってそういうもんやから。で、Fワードは放送では編集される言葉ってことは恐らく一般常識なはずなのに(コレも曖昧なまま言ってるけど……まあブロそう。)、禁句と知った上で使ってる〜?どゆこと〜?という疑問。

 

ブログだから曖昧でいいなんて言い訳はダメです。コラッ!メッ!……大丈夫です。今、叱っておきました。少し成長した私でここからはお送りします。

 

さて、なんでだろ〜?と思っているだけだとそこで終わりなので、せめてもの手がかりとして疑問点と仮説を整理して終わりましょう。


①そもそも「禁止」に対する感覚が異なる
…私の肌感覚ですが、「それ放送禁止用語らしいよ」って注意の威力、かなり強くないですか?してはいけないことに対して敏感というか、言語をアップデートしなきゃ!という義務感というか、そういったものがある気がする。「じゃあ使わないね」となるのが私の中では自然なんだよなあ。対して放送禁止と知りつつも日常的に使われるので、あくまでも「放送禁止用語」であって「日常的禁止用語」ではないよね?という感覚があるのかな。目的を把握したうえでの分別というか…テレビの収録であっても使われているのは、「放送の責任は放送局にある」という考え方があるからだと思います。ちょっとこの辺りは責任の所在で裁判になることもあるらしく、まだ明確な線引きはないのでしょう。「禁止」だからとにかくやめるのか、場を判断して使うのか、その感覚の違いがあるのか?

 

②日常的な言葉として浸透しすぎている
…禁止に対する感覚が違う可能性はあるが、アメリカではアフリカ系アメリカ人に関する用語の取り扱いについてはかなり慎重に考えられており、恐らく日常的にも言葉を選ぶようになっていると思われる。となると禁止用語と言語のアップデートは関連があると思われるが、なぜFワードは使われ続けるのか。日常的に使用する言葉として浸透しすぎてしまっているが故に、使用を控えたり同じくらい使いやすい代替表現を用いることが難しいとは考えられないだろうか。ちょっとよくわかんなくなってきた。

 

③放送禁止ではあるが言葉の悪さにグラデーションがあるから使われる
…Fワードは「クソッ!」という意味の他に強調やあまりよろしくない意味で使われると書いたが、このようにFワードで表さられる意味にはグラデーションがあり、日常的に使われているのはその中でも良心的な意味の方なのではないか?という仮説。日本の番組では例えば男性器をさす「CHINCHIN」は効果音で塞がれることが多いが、放送コードに触れた大問題として扱われることはないし、禁句として言葉が死ぬこともなく生き続けている。禁止とされるものの中にも大なり小なり分別があって、「クソッ!」みたいなリアクションで使われるFワードは「CHINCHIN」くらいの度合いなのではなかろうか。もちろんもっとよろしくない意味でのFワードの使用もあるので注意が必要だが、「ダメだけどまあコレくらいならいいよね」と受容される範囲の意味では日常的に使われているのかもしれない。

 

なっげ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!という反応は禁止でいきましょう。

あいづちが少ないってどうなの?

 

カッパです。こんにちは。ぬるりん。
今回はカッパがやっているポッドキャストを文字化したものを載せます。
「それってどうなのRadio」より「あいづちが少ないってどうなの?」です。

ちなみにこれは、大学院と研究所で一緒の友人「ヒナちゃん」とゆる〜く雑談するポッドキャストです。ゲストも常に募集しているので、(本当に誰でも受け付けるので)ぜひお声がけください。

元の音声はこちら。Spotifyにもあるよ。

anchor.fm

だい「皆さんこんばんは。だいちゃんです。最近悩んでいることがあるので、聞いてください。」

ひな「はい。」

だい「このポッドキャストの収録を始めてから何ヶ月か経ってるんでるんですけど、自分の『あいづちのレパートリーの少なさ』毎回驚くんですよ。」

ひな「そう?。」

だい「そうなんです。1回気になると気になっちゃうんですけど…。僕、『うんうんうん』と『あ〜なるほど』と『はい』しか、ない。この3つで今までやってきて…これ、どうしたらいいですか?」

ひな「そうなんだ!え〜たしかにね。普段は録音とかしないからね。改めて聞いてみたり残ってたり、蓄積されることでわかることってあるんだね。」

だい「そう、パターンが見えてきた。実はポッドキャスト始めてからひなちゃんの相槌を真似してるんだよね。1個目の『うんうんうん』はひなちゃんから取ったのよ。だから僕、ポッドキャスト始める前までは2種類しか相槌がなかったのかもしれない。『うん』と『なるほど』の2本槍で生きてきた可能性がある。」

ひな「それはそれですごいけどね。」

だい「そこで『うんうんうん』をいただいたお礼を…と思いまして。ありがとうございました。」

ひな「どういたしまして。フリー素材なんで。あいづちのレパートリーを増やしたいってこと?なんでよ?」

だい「なんでよ!?」

ひな「だって別に今だって私は気になっていないし…録音すると気になるのかもしれないけど。だから別にそのままでいいと思うけどな。」

だい「レパートリーはあればあるほどいいと思ってました。」

ひな「そうかな、あって困ることはないか。」

(続きは聞いてみてね)

こうして文字起こしすると、カッパが話している時間が長いことに気付きますね。普段はそんなことないんだけど。だいたいどちらかが勢いで語ることが多いです。今回はカッパ側でした。なるほどね〜。うんうんうん。は〜い。

官能と食事とギエー!

ポテトサラダのおいしい作り方を科学的に解明することに成功しました

 

①マヨネーズを加える時のじゃがいもの温度の違いによるおいしさへの影響

②マヨネーズの乳化粒子の大きさの違いによるおいしさへの影響

 

粗熱を取った40℃のじゃがいもにマヨネーズを加えて混ぜ合わせた時が、じゃがいもとマヨネーズの両方の味をしっかり感じる

 

マヨネーズの乳化粒子の大きさの違いやその婚剤状態がポテトサラダのおいしさに影響

「【研究報告】マヨネーズの乳化粒子がおいしさに影響」より引用

https://www.kewpie.co.jp/mayonnaise/conference-presentation/pdf/20190925_77.pdf

 

らしいです。すげー。まず何より、この研究結果が出るまでポテトサラダをおいしく作る科学的根拠が証明されていなかったってことに驚き。そしてそれを解明したキユーピーはエライ!スゴイ!好きになったな〜。

 

①に関しては、加熱したての状態と冷やした状態を比較対象に。アツアツの状態に混ぜるとマヨネーズの味は染み込むけど、じゃがいもの味がしなくなってしまう。冷やした状態に混ぜると表面にしか味がつかず、マヨとポテの一体感が出ない。とのこと。このときじゃがいもの温度によってマヨネーズの乳化粒子の大きさが変化して、それが味に変化をもたらすんだってさ、すごいねえ。粗熱取った状態で混ぜるのがマヨもポテも感じることができてウマイ!らしい。かがくの ちからって すげー!

 

すげー!と感動したならここで終わりでやんす。わたくしカッパは「これホンマけ?」と思ってしまったので、もう少し続きます。

 

疑問……そもそもおいしいって何なのよ?どうやって測ったの?マヨラーはマヨの味がガンガン感じられる方がおいしいのでは?

 

件のキユーピーの研究では「おいしさ」を2つの方法で評価しています。

①官能評価 ②顕微鏡観察

マヨネーズの粒子については顕微鏡で観察されているので、大きさを定量化して計測することができますね。なんとなくイメージもわかるし、客観的な気がする。でも、官能評価ってなんぞや??ちょっとエッチな気配を感じましたが、ご安心の全年齢対象でした。キユーピーの研究では「官能評価にパネルを研究員8名」とあったんですがカッパにはちょっと難しかったので調べました。官能評価。

 

いでよ!キッコーマン!ドーン!官能評価で調べたらすぐ出てきてくれました。官能評価とは、人の五感を使って分析する手法のことのようです。キッコーマンが出している例では、スイカに食塩を足すと甘さが増して感じられるが、物理的には甘みに関する成分量は変化していないはずですよね〜、という。確かに。化学的に説明できないことを知るために用いられるようです。

 

官能評価には様々な手法があるらしく、その中でも最も多くの情報を得られるとされているのが「QDA法」。味の評価に必要な味覚や嗅覚の感度を備えた上で、語彙力やコミュニケーション能力の高い人をパネルとして選出。パネルが感じた味の特徴を言語化してもらい、各パネルの出した特徴の共通項を数値化していく…手法らしいよ。

 

(官能評価QDA法|キッコーマン を参照)

官能評価 QDA法 | キッコーマン

 

すげー、そんな方法あるんだ。めちゃめちゃ客観的やんけ。うたがってごめん、キユーピー。味の評価に味覚と嗅覚がいるのはなんとな〜くわかるし違和感ないけど、これに語彙力とコミュニケーションがプラスされているのがおもしろいね。確かに語彙力が無いと感じたことを言語化出来ないし、コミュニケーションが出来ないとそれを伝えることも難しい。ただ料理を食べるだけなら、見知った人たちと食べるだけなら、別に言葉なんて必要ないんだけどね。曖昧なものを数値化して評価するにあたって、複数人が感じたことを言語化してもらってその共通項を探すという場面では必要になるんだな〜。だから食の嗜好は関係なくて、あくまでも客観的な感想を数値化していく作業。これとは別に嗜好を含んだ試験を交互に行うことが必要らしい。なるほど。

 

カッパは今まで、おいしいものを食べたら「オイシイ!ギエー!」甘いものを食べたら「アマイ!ギェー!」辛いものを食べたら「ギエー!」、感想の語彙力の低さたるや。カッパがパネルになる日は来るのか!?たぶん、ない。ギエー!