最近、放送禁止用語使いました?

なかなか使う機会がないよね〜。別に業界人ではないけど、放送禁止用語って日常生活でも聞かなくなっている気がする。え、使うことある?まああってもよいです。今回はその是非ではなく、放送禁止用語に対する感覚の違いに気付いたと言うお話です。最近Netflixで海外の番組を見ている時に感じたことを叫びます。

 

「ピー」って編集されるのに「Fワード」使いすぎ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!

 

感情が高まりすぎて引用文みたいになってしまった。出典は私です。Fワードっていうのは英語で伏字になりがちなあの単語です。日本語訳だと「クソッ!」になっているのをよく見ます。そう、その単語。この単語は米国の放送禁止コードに引っかかるらしく、放送されている番組だと「ピー」という効果音でかき消されています。英語表現的には「クソッ!」っていう意味の他にも、強調に使われたり別のよろしくない意味で使われたりするらしいですね。放送禁止になっている言葉なのに意味が多岐に進化してるの、ちょっと面白くないですか?今回はそう思ったので書き出しましたが、調べてもあまり答えには辿りつかなかったので備忘録として残しておきます。

 

今回の疑問点はコレ。「Fワードはピー音で編集されるのに、日常の中でも番組の中でも使われすぎ!どうして死語にならないの?」です。

 

とは言ったものの、英語ネイティブ話者の発話データを漁っているわけではなく、少ない情報の中で気付いた違和感なのです。反例あったら教えてね。

 

(情報源になった番組についてオタク語りしている段落)
その少ない情報源になっているのは最近ハマっている「Magic for Humans」。Netflixで見れる番組です。放題は「ジャスティン・ウィルソンの人生はマジック」。タイトルの通りマジックの番組で、マジシャンが街を歩く一般人にマジックを披露するというもの。コレが面白いんだ…。ジャスティンが街を歩いて出会った人に声をかけまくる「街ロケスタイル」なんだけど、ウィルソンがコメディアンなのもあって一般人との掛け合いとかマジックのチョイスとかがすごく笑える。何より一般人の方々のリアクションが絶妙で、つられて笑ってしまうことがかなりある。呆気にとられる人もいればちょっと叫ぶ人や大きく笑う人とかもいたりとリアクションも様々だし、感情が表情にモロに出ている様子も見ていて面白い(出ていないのもそれはそれで面白い)。マジックはテーブルとかステージでやっているのも面白いけど、マジシャンが観客と向き合ってやるマジックも面白いね。スタンダップコメディ感もあるし、いわばスタンダップマジックとも言えるかもしれない。カメラ越しにマジックを見せているがゆえのCGの疑念を裏手に取った回もあってとても笑えてね、そういう演出の仕方が魅力的でもあって・・・。
(ズレるのでやめますが面白さは伝わりましたか?とにかくオススメ!星5千個!)

 

で、マジック番組では驚いた人がFワードを言うことが結構多いのです。「信じられない!」「嘘でしょ!?」みたいなニュアンスで。すっごいカジュアルに使うんですよね、放送禁止用語。皆さんは放送禁止用語、最近いつ使いました?禁句と知らずして使うことはあれど、知った上で日常的に使うことってあんまりないと思うんですよ。コレはめっちゃ主観の感覚なので個人差あるとは思うのですが……まあブログってそういうもんやから。で、Fワードは放送では編集される言葉ってことは恐らく一般常識なはずなのに(コレも曖昧なまま言ってるけど……まあブロそう。)、禁句と知った上で使ってる〜?どゆこと〜?という疑問。

 

ブログだから曖昧でいいなんて言い訳はダメです。コラッ!メッ!……大丈夫です。今、叱っておきました。少し成長した私でここからはお送りします。

 

さて、なんでだろ〜?と思っているだけだとそこで終わりなので、せめてもの手がかりとして疑問点と仮説を整理して終わりましょう。


①そもそも「禁止」に対する感覚が異なる
…私の肌感覚ですが、「それ放送禁止用語らしいよ」って注意の威力、かなり強くないですか?してはいけないことに対して敏感というか、言語をアップデートしなきゃ!という義務感というか、そういったものがある気がする。「じゃあ使わないね」となるのが私の中では自然なんだよなあ。対して放送禁止と知りつつも日常的に使われるので、あくまでも「放送禁止用語」であって「日常的禁止用語」ではないよね?という感覚があるのかな。目的を把握したうえでの分別というか…テレビの収録であっても使われているのは、「放送の責任は放送局にある」という考え方があるからだと思います。ちょっとこの辺りは責任の所在で裁判になることもあるらしく、まだ明確な線引きはないのでしょう。「禁止」だからとにかくやめるのか、場を判断して使うのか、その感覚の違いがあるのか?

 

②日常的な言葉として浸透しすぎている
…禁止に対する感覚が違う可能性はあるが、アメリカではアフリカ系アメリカ人に関する用語の取り扱いについてはかなり慎重に考えられており、恐らく日常的にも言葉を選ぶようになっていると思われる。となると禁止用語と言語のアップデートは関連があると思われるが、なぜFワードは使われ続けるのか。日常的に使用する言葉として浸透しすぎてしまっているが故に、使用を控えたり同じくらい使いやすい代替表現を用いることが難しいとは考えられないだろうか。ちょっとよくわかんなくなってきた。

 

③放送禁止ではあるが言葉の悪さにグラデーションがあるから使われる
…Fワードは「クソッ!」という意味の他に強調やあまりよろしくない意味で使われると書いたが、このようにFワードで表さられる意味にはグラデーションがあり、日常的に使われているのはその中でも良心的な意味の方なのではないか?という仮説。日本の番組では例えば男性器をさす「CHINCHIN」は効果音で塞がれることが多いが、放送コードに触れた大問題として扱われることはないし、禁句として言葉が死ぬこともなく生き続けている。禁止とされるものの中にも大なり小なり分別があって、「クソッ!」みたいなリアクションで使われるFワードは「CHINCHIN」くらいの度合いなのではなかろうか。もちろんもっとよろしくない意味でのFワードの使用もあるので注意が必要だが、「ダメだけどまあコレくらいならいいよね」と受容される範囲の意味では日常的に使われているのかもしれない。

 

なっげ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜!という反応は禁止でいきましょう。